出る杭は打たれる
こう聞いたとき、皆さんはどう思われますか
私はあまり良いイメージがありませんでした
出る杭=自己主張
打たれる=否定される、潰される
というイメージだったからです
松下幸之助さんの名言に
出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない
というものがあります
つまり少し出たら打たれるのであれば、思いっきり出ればいいんだ
的に考えていました
ここで本来の言葉の意味をおさらいしてみましょう
出る杭は打たれるとは・・・
1 才能 ・手腕 があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2 さし出たことをする者は、人から非難 され、制裁 を受ける。
--デジタル大辞泉より --
また大辞林第三版 では、
①頭角を現す者はとかく他の人から憎まれ邪魔をされる。
②よけいなことをする者は他から制裁を受ける。
とあります。
つまりはしっかりと自分の意見を言うことで、
相手から何かしらよくない念を飛ばされる、、という感じでしょうか
ですが自分の意見を言う、ということは「自己主張」ということです。
自己主張とは、、
・自分自身の意見や考えや欲求などを、他人に伝えること。
日本語表現辞典より
とあります。
こうやって意味だけを調べていけば、
自己主張することも決して悪いことではありません
むしろ、自分の意思を相手に伝える、という点において、
逆に必要なことである、と思います
ですが、謙遜することが美徳だと思っている私たち日本人は、
「自己主張する=我儘」という感じで、ダメなことだ
と思われている方が多いのかもしれません
つまり「自分の欲求だけを伝える」、
という意味合いが強い言葉になっているのかもしれませんね
確かにこの2元性の世界(良い・悪い、光と闇、など両極にあるもの)において
これが良い、これが悪い、の観点から見れば、
自己主張しすぎるもの問題があるのかもしれません
ですがそれを問題と思うのか、思わないのか、自分がどう感じるのか
ということだけですので、そこに良いも悪いもないのですが…
こうやって意味を調べていくと、
ただ漠然と悪い意味合いにとっていた「出る杭は打たれる」という言葉も
実はそうでなかった、、ということが分かります
松下幸之助さんがおっしゃった
出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない
というのも、ただ単に少し出てダメならたくさん出せばいい
的な意味合いでないような気がします
自分の意見をしっかりと相手に伝える
そして相手の意見もしっかりと聴く
お互いに尊厳を認め合った上で論じれば、
「出る杭は打たれる」ということもなくなるのではないのでしょうか
出る杭は打たれる
そう思う私たち意識の奥底には、
出すぎれば恨まれる、嫌われる
という恐怖の思いがあります
これは「人に嫌われたくない」という気持ちがある、
ということですよね
人に嫌われたくない
という思いが心の奥底にあるから、
出る杭は打たれないように、
つまり自己表現はあまりせず、周りとの協調性を図って、、
的な行動になるのだと思います
自己表現しない
ということは、本来の自分を押し殺していく
ということに他なりません
自分本位ではなく、他人本位。
つまり自分という「個」を消失させ、
周りによって自分という「個」を創造している
ということになります
これでは本末転倒です
より自分らしくなっていくためには、
出る杭は打たれる、という考えはなくしたほうがよさそうですね
その考えもまた、自分自身の思い込みなのですから
出る杭は打たれるのではなく、
むしろ出ることで周りとの調和が図れる
と考える方がいいかもしれません
自分の思い込みに一つずつ気づき、手放していくことで
より自分らしく表現していけるようになりますよ
レムリアンオーロラ は皆様が思い込みを手放していくサポートになります
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